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盛岡地方裁判所 昭和33年(わ)46号 判決

被告人 川村富夫

昭一〇・一・一三生 元信用金庫員

主文

被告人を死刑に処する。

押収してある婦人用腕時計(証二二号)は、被害者・長沢ヒサの相続人に、現金四三、七〇〇円(証三号)は、被害者・盛岡信用金庫にそれぞれ還付する。

理由

(事実)

被告人は、米穀商を営む多蔵(当五五歳)の長男として、肩書本籍地に生れ、姉妹弟四人とともに家庭的にも経済的にも比較的恵まれた境遇の中に生長し、桜城小学校・下の橋中学校をへて、昭和二九年三月、岩手県立盛岡商業高等学校を卒業し、ただちに盛岡信用金庫材木町支店に入社した。以来、同支店において、各種預金の集金、勧誘・帳簿の整理等の業務に従事してきたが、いつしか賭けマージヤンやキヤバレー遊びを覚え、ことに昭和三二年秋からは、これに耽溺するに至つたため、被告人の貰う八千円余の月給では足らず、金庫の金に手をつけるようになつた。

一  被告人は、昭和三二年一〇月二九日から昭和三三年四月一五日までの間、右金庫のため、各種預金の集金をしこれを保管中、別表記載のとおり前後二二回にわたり、一回に金一、〇〇〇円ないし三〇、〇〇〇円づつ合計金二一六、〇〇〇円を盛岡市内において、擅に遊興費等自己の用途に費消するため、着服して横領し

二  昭和三三年三月末頃には、使いこみが多額に達し、穴埋めの見込がなくなつたので、被告人は、いずれ発覚は免れないものとみて、前途を悲観し自暴自棄となり、この際まとまつた金を手に入れて、最後を派手に遊んで死のうと決意するようになつた。たまたま、被告人が預金の勧誘や集金に度々訪ねたことのある盛岡市大慈寺前三九番地・調理士・長沢治郎(六〇歳)の金額二〇万円の第一二回むつみ定期預金が、四月一四日に満期になることを知つたので、同月一三日、長沢夫婦を殺害して、信用金庫の母親金庫普通預金通帳H56(預金高・四七、七二五円)・印鑑その他金品を強奪し、預金をおろして逃走しようと計画したが、同日は準備不充分のためその実行を一時中止した上、長沢宅内部の様子を探るとともに、書替えを口実に、第一二回むつみ定期預金証書(証二八号)を入手しようと考え、同夜右長沢方に一泊し、定期預金証書を予定の如く入手して立ち帰り、ついで同月一七日午後八時頃、刃渡り約一七糎の出刃庖丁をかくしもつて、長沢宅を訪れ宿泊し、翌一八日午前二時頃、ひそかに起き出し、右庖丁で、仰向けに眠つている事実上の長沢方養子・山本和雄(一八歳)の喉もとを一気に突き刺し、さらに、その横に右頬を下にして眠つていた長沢治郎の喉もとを突き刺し、ついで物音に立ち上つた妻・長沢ヒサ(五四歳)の喉もとを同様に突き刺して、いずれも頸部刺切傷にもとずく出血により即死せしめて殺害した上、かねて目星をつけていた和箪笥を物色して、預金通帳・印鑑・金員等を探したが、見当らず、わずかに有合わせたヒサ所有の婦人用腕時計(証二二号)を強奪して、午前三時頃裏口から逃走して帰宅し

三  同日朝、被告人は、何事もなかつたように、盛岡信用金庫材木町支店に出勤し、午前九時すぎ頃、同店次席・村上秀三(二八歳)に対し、前記の方法で入手していた長沢治郎名義のむつみ定期預金証書(証二八号)と、以前に長沢に印を押して貰つておいた普通預金払出請求書(証二九号)を示し、長沢治郎から、右むつみ定期預金二〇万円・母親金庫普通預金五万円(むつみ定期預金の利息・割増金が加わつて、総額五二、五八一円になつていた)合計二五万円の払戻しを依頼されてきたと、虚構のことを申向けて、払出方を申込み、村上をしてその旨誤信させ、同時同所で、出納係を通じ、預金払出名下に、合計二五万円を交付せしめて、これを騙取し

たものである。

(証拠)〈省略〉

(適条)

一の行為は、刑法二五三条に、二の行為は、同法二四〇条後段・五四条一項前段に、三の行為は、同法二四六条一項にそれぞれ該るところ、二につき、同法一〇条を適用して、犯情最も重いと認める長沢治郎に対する強盗殺人罪の刑にしたがい、所定刑中死刑をえらび、以上は同法四五条前段の併合罪であるが、同法四六条により他の刑を科さないこととし、押収してある婦人用腕時計(証二二号)は判示二の、現金四三、七〇〇円(証三四号)は判示三の各贓物であるから、刑訴法三四七条一項により、各被害者に還付し、訴訟費用は、同法一八一条一項但書を適用して、被告人に負担せしめないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 降矢艮 瀬戸正二 矢吹輝夫)

(横領一覧表)〈省略〉

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